「明治波濤歌」は、明治時代の確かな文献をもとに、当時の製法を可能な限り忠実に再現して、現代によみがえらせた明治の球磨焼酎です。それは、室町時代から明治時代まで続いた造りによる球磨焼酎の原点となる味わい。原料はすべて玄米。そこに黄麹を育て、日本の酒造りのルーツといえるどんぶり仕込み。そして蒸留は兜釜蒸留。古い造りではあっても、香りは芳醇で、上品な甘さが感じられる味わい。これは、ひたすら深い味わいにこだわり続けた先人たちの知恵と情熱が込められた焼酎です。
明治の球磨焼酎を再現
田山花袋など明治の文化人が当時の球磨焼酎を高く評価している記述が残されています。それは室町時代から明治までの四百年間受け継がれた味わいです。またその後に失われてしまった味わいでもあります。
「飲んでみたい。味わってみたい。芳烈で滋味に富むまぼろしの焼酎を手に入れたい。」
私はそんな思いにかられました。明治、大正の文献を読みあさり、その製法が明治四十一年の文献※に克明に残されているのを見つけました。その味わいを手に入れたいと日ごとに増す衝動を抑え、地道な作業を繰り返しました。試験管レベルでの実験、古い木桶の修理、当時と同じ寸法で兜釜蒸留器を復元。
〈玄米に黄麹を育て、煮米とともに小さな木桶にどんぶり仕込み。長期の熟成後、薪を焚いての兜釜蒸留。〉
可能な限り忠実に文献の製法を再現しました。数々の失敗を重ねながら、先人たちが残した蒸留器に幾度となく問いかけました。
「焦げつかないような火加減はどうすればいいのか?」
「なぜもろみを固体と液体に分離するのか?」
「なぜ冷却水を三十度で入れ替えるのか?」
「もろみの度数が低いのになぜ原酒の度数は高いのか?」
紙面に書ききれないほどの疑問に一つひとつ先人たちは答えてくれました。時空を超えて、先人たちに遭い、その知恵と工夫に驚かされ、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。
私のこだわりに賛同してくれたスタッフ、そして先人たちに支えられ、構想から四年、漸く明治の球磨焼酎を再現することができました。
「明治波濤歌」
明治の製法は現在の製法とはまるで違っていました。どうして明治以降の蔵人たちは製法を変えてしまったのでしょうか。それは、明治を境に日本に押し寄せた合理主義の波が、長く受け継がれた伝統を運び去ったからにほかなりません。効率性や経済性を志向したのと引き換えに、手間のかかる伝統的な球磨焼酎の製法と深い味わいが失われてしまったのです。それは、国の一番の財源が酒税であった時代の国家的な使命でもありました。
こうして失ったものをもう一度取り戻したい。そう願って明治の焼酎を再現し、「明治波濤歌」と名付けました。これは山田風太郎氏の小説の名であり、その小説はまさに近代と前近代の相剋を題材としたものです。
「明治波濤歌」を飲みながら、明治時代に思いを馳せ、「伝統」の意味を想い起こしていただければ幸いです。
原料は玄米
黄麹
どんぶり仕込み
兜釜蒸留
直火焚き
デザイン:装丁家 毛利一枝
山田風太郎について
明治という時代に思いを馳せながら、 明治の球磨焼酎を当時の飲み方で味わってみる。
「明治の球磨人は、生焼酎(45度)に約3割の和水をなし、温めて後小猪口をもって飲むを習慣とせり」
明治時代の文献(税田徳『球磨焼酎に就きて』明治41年)に記された明治の球磨人の一般的な飲み方です。
つまり割水して35度となった焼酎をお燗してちびりちびりと飲んでいたわけです。
「明治波濤歌」の度数も35度。明治の左党と同じ飲み方、ぜひ一度お試しいただきたい飲み方です。
予めお好みの濃さに割水しておいて、燗をする「前割り燗」。お好みの濃さでお楽しみください。
(参考)明治波濤歌と水を
7:3で割ると約25度(一般の焼酎の度数)
5:5で割ると約18度(一般の清酒の度数)
50℃前後の熱燗がおすすめです。 その味わいは、お湯割りとはまったくちがいます。
上品な香りとまろやかで豊かな味わい、甘みをご堪能いただけます。
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